東京高等裁判所 昭和33年(う)2060号 判決
被告人 小塚利治
〔抄 録〕
起訴状並びに原審検察官の訴因の一部撤回請求によれば、本件公訴事実は「被告人は自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和三三年一月七日午後四時二十分頃三輪貨物自動車を運転し上野方面より浅草方面へ向け時速約三十粁で進行し東京都台東区浅草松清町八四番地先道路にさしかかつた際転回しようとしたが、かかる場合自動車運転者たるものは後続車馬の有無を十分に注視し安全を確認して右折回転しなければならない業務上の注意義務があるにかかわらず、これを怠り、道路中央軌道添いに一時停車し電車の進行状況を注視することにのみ気を奪われ後続自動車の有無を十分に注視することなく漫然右折転回しようとしたため後方より進行して来た三門旭三当五六年の運転する第二種原動機付自転車を自己の運転する自動車の右側に衝突させて同人を路上に顛倒せしめ、因つて同人を同月八日午前六時三〇分頃同区松葉町九九番地蛯名診療所において頭腔内損傷により死亡させたものである。」というにあつて、原審は原判決挙示の証拠により右公訴事実と同様の事実を認定したものであり、右証拠を検討すれば、原判示事実は業務上の注意義務の内容及びその懈怠の点を除きすべてこれを認定するに十分である。弁護人は、本件衝突事故は被告人の過失によるものではないのにかかわらず、原判決がこれを被告人の業務上の過失によるものであると認定したのは判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認であると主張するので案ずるに、司法警察員作成の実況見分調書、司法巡査作成の業務上過失傷害致死事件捜査報告書並びに被告人の司法警察員に対する供述調書によれば、本件衝突事故の現場は上野駅前より東進して浅草方面に通ずる東京都電の電車通り(通称上野―堀切橋線)路上で、都電菊屋橋交さ点東北角に在る菊屋橋巡査派出所より東方約六〇米の地点であり、右道路は全幅員三三米、内南北両側の歩道各五・五米、車道二二米でアスフアルトにより舖装され、その中央部幅六米の部分は都電の軌道敷地で石畳となつており、これに軌道二条が敷設されていて、右箇所において南北に通ずる幅員一五米の歩車道の区別のない道路と直角に交さしている交さ点であり、該交さ点には信号機の設置もその他の保安施設もなく、本件事故発生当時手信号による交通整理も行われていなかつた場所であることが認められる。被告人は右電車通りを上野駅前方面より浅草方面に向け三輪貨物自動車を運転して軌道の左側車道を東進して来て右交さ点で右折転回しようとしたものであるが、かかる場合自動車運転者たるものは後続車馬の有無を十分に注視し安全を確認した上右折転回をしなければならない業務上の注意義務があり、そのためには自動車操縦者は方向指示器その他の方法で合図をしなければならないし(道路交通取締法第二二条)、又右折しようとするときは、あらかじめその前から、できる限り道路の中央によつて交さ点の中心の直近の外側を徐行して回らなければならず(同法第一四条第二項)又右折しようとする自動車は、原則として直進し又は左折しようとする車馬又は軌道車があるときは、これに進路を譲つて一時停車するか又は徐行しなければならないのであるが、直進し又は左折しようとする車馬又は軌道車の進行している地点、速度、進行の方向等から安全に通行できると合理的に判断される場合においては、一時停車することを要しない(同法第一八条の二第一項)のである。他方、右後者の場合、後続する直進又は左折しようとする車馬は、既に右折している自動車に進路を譲らなければならないのであつて(同条第二項)、殊に原動機付自転車は交さ点においては自動車を追い越してはならない(同法施行令第二三条第二項)のである。本件についてこれを見るに、被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書並びに当審公判廷における供述、高橋誠の司法警察員に対する供述調書並びに原審第二回公判調書中の供述記載、証人中島豊吉の原審第二回公判調書中の供述記載、司法警察員作成の実況見分調書によれば、被告人は前記交さ点において右折転回しようとして方向指示灯を点滅させながら道路交さ点中心直近の軌道添いに一旦停車したが、前方からは近くに来る車馬は見えず、後続する車馬の有無を確認しようとして自己の車の後部窓を通して後方を見たけれども自車の積荷に遮られて真後は見えなかつたが、風防の窓越しに車体外に固着されているバツクミラーを見たところ、後方都電菊屋橋停留所を発車した電車は約六〇米後方を進行中であり、その他に右側を進行して来る車馬を認めなかつたので、その安全なことを確認した上、停車約一分間の後、バツクミラーを見ながら進行を始め、時速約七、八粁で、ハンドルを右に切つて斜に一車身位進み前車輪と右後車輪が軌道内に入つた瞬間、自動車の真後から突如右側に三門旭三の操縦する原動機付自転車が被告人の自動車を追い越そうとして時速約四〇粁の高速度で飛び出して来て、被告人の自動車の右側ドアーに接触衝突し、これがため、同地点より三門は約六・七米、原動機付自動車は約七・二米の軌道上に顛倒したことが認められる。以上の事実から見ると本件現場において被告人が右折転回するに際し執つた措置は前記説示に照し自動車運転者としての注意義務を十分に尽したものということができるのであつて、右の場合、自動車の構造上からも風防式の硝子戸のドアーをあけて身体を右側車外に出して真後に後続車のないことを確かめようとするが如き行為は、かえつて本件のような場合には危険であつて、被告人にかかる措置に出るべき業務上の注意義務を求めることはできないものといわなければならない。被告人の供述調書中自己の過失を認めるが如き記載のある部分があるけれども、それらは当裁判所の採用せざるところである。記録を精査して見てもその他に被告人において注意義務違反の過失があつたことを認めるに足る証左はない。本件事故は、前記各証拠に徴すれば、むしろ三門旭三が前方交さ点において方向指示灯を点滅し右折しつつある被告人の自動車を認めながら、これを追い越そうとして無思慮にもその右側を時速約四〇粁の高速度をもつて暴進した同人の過失によつて生じたものといわざるを得ないのである。もとより被害者に過失があるからといつて、直ちに被告人に過失がないと即断することは許されないけれども、本件においては被告人に過失のなかつたこと叙上のとおりである以上、この点において結局本件公訴事実はその証明なきに帰するのであつて、原審が被告人に業務上の過失ありとした事実の認定には誤認があるといわなければならない。しかして右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから論旨は理由があり、爾余の控訴趣意に対する判断を俟つまでもなく、原判決は破棄を免れない。
(長谷川 白河 荒川)